ウチョウランのたどった道 

これは、長く、つまらない昔話である。暇な人だけ読んでくれればいい。




 ウチョウランという植物がある。
専門業者が大量に増殖し、時にはスーパーマーケットの一般園芸コーナーにも入荷するほど安定供給されている。
日本独自の園芸植物として、地位を固めているといってよいだろう。

しかし、ウチョウラン園芸には、園芸誌では語られることのない黒歴史がある。
今の若い人はそれを知らない。
年寄りが、生きているうちに書きとめておくことも必要だろう。




 もともと、ウチョウランはそれほど注目されている植物ではなかった。

植木市などでごく稀に売られることはあったが、つぶれかけた花がひとつふたつ付いた貧弱な株が一束いくら、という
粗末な扱いだった。盆栽の寄せ植えに使う、名も無い草のひとつにすぎなかった。
(ちなみにオキナワチドリは、ごく普通の花であれば今でもそれと同じ状況で、金銭価値は無いに等しい。
格安でネットオークションに出品されても、入札者が一人もいないほど人気がない。)

栽培方法がよくわかっていなかったため、普通の草花と同じように黒土で植えたり、庭に植えたりされることもあっ
た。ウチョウランは清浄な深山幽谷に生える植物である。下界で雑菌だらけの土に植えられると長持ちしない。すぐ
枯れてしまうから育てても面白くない。いらない。需要は無かった。

ところが世の中には、そういう草を意地でも育ててやる、とチャレンジをくりかえした変な人達がいた。
彼らの努力の結果、幸か不幸か、栽培法が確立されてしまったのである。
きちんと栽培されたウチョウランは、山にある貧弱な草と同じ植物とは思えないほど立派な花になる。
上手に育てられている株を見て、欲しがる人が増えてきた。

やがて栽培家は、野生個体の中には、花が白かったり赤かったり、斑点の形が変わっているものがあることに気が
ついた。コレクターが現れ、園芸誌で発表した。欲しがる人はますます増えたが、需要を満たすほどの数はない。
希少価値のある花の値段は上がる一方。ついには利殖目的で、球根に投資する者まで現れた。
時は世をあげてのバブル時代、ウチョウラン・バブルもとどまるところを知らない。
球根一つが10万、20万は当たり前。実際に売買が成立したかどうかは定かでないが、価格相場表に1球200万と
いう記録すら残っている。



ウチョウランは金になる。
そういう話を聞いて、にわか盗掘屋が急増した。
だが素人の悲しさで、どんな花が高く売れるかまったくわかっていない。
とにかく手当たり次第に採る。マニアが見向きもしない普通花まで根こそぎ採る。
普通花は珍品を生ませる種親として自生地に残しておく、という発想はない。

花時には山がピンク色に見えたという大群落が一日で消えた。
国定公園だろうが自然保護区だろうが例外ではない。
一箇所をとりつくせば隣の山、隣の県、遠方まではるばる遠征して採る。
手のとどくところの花はすぐに採りつくし、断崖絶壁にザイルをかけて登攀し、そこに生えている未開花株まで
一本のこらず採る。そのうち足をふみはずして転落、帰らぬ人となった盗掘屋もいた。
それでも盗掘屋は次々とあらわれた。
東北から九州まで全国すべての自生地で、同時多発盗掘である。
もはや、野生ウチョウランの絶滅は時間の問題と思われた。

 業者は盗掘を批判しなかった。盗掘屋がもちこんだ花が、商品価値のない駄花であったとしても、「これは普通株だ
からいらない」と言えば二度と売りに来てくれない。だから持ち込まれれば全部買う。めぼしい花を抜いた残りは
「未選別、どんな花が咲くかお楽しみ」といって福袋状態でまとめて売る。宝クジに当たるほどの確率で希少花も混じ
っているので、それを期待して趣味家も買う。もちろん、ほとんどの場合、「希少価値のない」普通の花しか咲かな
い。それがわかったらどうするかというと、捨ててしまうのである。
捨てないまでも、二束三文で寄せ植え材料に売り飛ばす。普通花でも珍しがる初心者にあげてしまう。

 話がずれるが、野生ウチョウランは、ものすごく育てにくい植物なのだ。
現在のウチョウランは、九州など南方低地の個体群の血を入れて交配改良してあるので暑さや病気に強く、かなり
育てやすくなっているが、それを基準に考えたら大間違いである。
高地や北方系の原種ウチョウランは、野生蘭の大ベテランでもちょっとやそっとでは維持できない難物である。

現在の改良ウチョウランでさえ、初心者がいきなり扱えば、かなりの高率で枯らしてしまう。
まして、当時の野生ウチョウランを、そこらの一般園芸家が育てられるわけがない。
予備知識もなく軽い気持ちで手にした者は、すべて腐らせ、枯らしてしまった。
盗品売買と野生絶滅に加担したということにも気づかず、罪悪感すらないままに。

ベテランが選別して栽培した希少個体の中には、栽培下で今も育てられている個体も無いではない。
しかし、その陰で数えきれないほどの普通個体が消費された。
野生普通花は、栽培品として、まったくと言ってよいほど残っていない。




 本当にウチョウランが好きで育てている者は、そんな状況を快く思いはしない。
だが、山採り苗を手に入れたことが一度でもあれば、盗掘屋を責められる立場ではない。
要人を一人だけ狙撃するのも、数万人の一般市民と一緒に大型爆弾で爆殺するのも、一般人から見れば同じテロリ
スト。狙撃のプロが聞いたら、美学のない爆弾魔と一緒にするな、と怒るかもしれないが。

どうして乱穫を止めなかった?と言う方もおられるだろう。
では、どうやって止める?
相手は一人や二人ではない。しかも全国で盗掘されている。
もし、あなたが山採りを非とし、そういう行為は根絶すべきだ、と思っているなら、今すぐネットオークションを検索して
みてほしい。山採り○蘭、という単語が日常茶飯事で登場し、オークション管理人も取り締まろうという気配はない。
「オークションは個人の責任におまかせしています」
「この植物は知人の持ち山で許可を得て採取した(ことにしている)ので、あなたにとやかく言われる理由はない」
止められるものなら止めてみてほしい。私はもう駄目だ、力つきた。

モラルを説くことは大切だが、そんな建前で人間の欲望をコントロールできれば苦労はしない。
法律で採集・販売が禁止されたオキナワセッコクでさえ、いまだに盗採が続いている。
犯罪だと承知の上で行動している人間には、法的規制も無意味・・ではないが不十分である。



話をウチョウランに戻そう。

野生株がほとんど採りつくされてしまい、野生の希少花が発見されることは、ほとんどなくなってしまった。
すでに発見されている希少花を株分けで殖やしたものは、奪い合いの状態である。
普通花の球根を希少品といつわって、高く売りつける詐欺事件もおきた。
頭のいい詐欺師になると、球根の新芽に除草剤を塗って送りつける。
これは外見は正常に見えるが、生育せず腐ってしまう。栽培者は自分の管理が悪かったかと思って、また注文してく
る。今でもネットオークションで使えそうな手口である。

ここまでドロドロしてくると、まともな神経の持ち主ならいいかげん嫌になってくる。
植物なのだから種を播けば苗ができるはずではないか。株分け以外では殖やせないのか?

確かに種子で殖やすことはできた。実はウチョウランは、日本産野生蘭としてはベスト10に入るほど発芽容易なラン
なのである。しかし、趣味家が細々と播く量では、園芸需要を満たすことは難しかった。
(その頃はまだ「段ボール播き」というウチョウラン用の播種技法は普及していなかった)

いっそ洋ランと同じように、バイオ技術で量産してはどうか。
多くの業者や趣味家がフラスコ播種に挑戦したが、ほとんどの場合は発芽しなかった。
そもそも洋ラン用の培地がウチョウランには不向きだったこともあるが、それ以前に、重要な発芽条件がまだわかっ
ていなかったのである。

さて、ここで問題。発芽には、何が必要だったのか。


************************************************


某氏はフラスコを温室内で大事に見守っていたが、丸1年たっても発芽する気配がない。
「駄目だこりゃ。」
あきらめて培養フラスコごと外に放ってしまった。
秋が来て冬が来て、フラスコは雨ざらし、霜に当たりまくりである。
旧式の難汚染フラスコだったからカビが侵入することもなく無事だったが、最近主流の広口びん培養だったら、おそら
く腐っていただろう。

春が来た。放置してあったフラスコをなにげなく見た某氏はびっくり仰天。
ウチョウランが芝生のように発芽している!

そう、温帯性地生ランの完熟種子は、一定期間、低温にあてないと発芽しないのだ。
(現在は低温処理なしで発芽させ、短期間で開花サイズに育成する方法も判明しているが、それはのちの話である)

発芽条件がわかれば量産は簡単。
当初は秘伝として門外不出にされていた培養条件も、口コミで漏れるのにそれほど時間はかからなかった。

1球10万の球根を、3球売れば30万。
ならば100球売れば1000万!
・・・と思うのは素人のあさはかさ。草ごときに10万も出すモノ好きを、100人も探すのは難しいのだ。
マニア連中に一通り行き渡ってしまえば、もう高値では売れない。
5万に値下げすればなんとか売れる。それでも売れ残ったら2万。1万。
あれよあれよという間に値段が下がりはじめた。
ウチョウラン・バブルの崩壊である。



それでも、当初は野生希少花は人工増殖株より一段高い評価をうけていた。
「人工で、天然物より良い株はできない」
そう言い切る人もいた。
しかし、新品種・白地一点花が発表されたことで完全に流れが変わった。

きわめて希少価値の高い紅一点花。
最も観賞価値が高いと評されていた白紫点花。
その両者の特徴をかねそなえた株、白地一点花。

そんなものが実際にあったらすごいよね、と空想で語られてはいたが、何万分の一の確率でしか出現しない特徴を、
2つ同時に持っている株。出現率は天文学的に低い。
実際、現在に至るまで野生で発見された例はない。
それが、人工交配すれば、いとも簡単に作れるのである。

検定交配してみれば何のことはない、紅一点花も白紫点花も、たかが一個の遺伝子が変異しているだけの花にすぎ
ない。
両者の交配第二世代で、単純計算で16本に1本は白地一点花ができてしまう。
次は大輪とかけあわせ、連舌と交配し、整型花の血を入れ、もうやりたい放題である。
多因子遺伝では完成された個体の出現率が宝クジ並みに低くなってくるが、下手な鉄砲も何とやら、実際に宝クジを
当ててしまう業者がいた。劣性遺伝子のかたまりのようなとんでもない花でも、一度できてしまえば、それを種親にし
てネズミ算式に殖やせる。もはや希少価値はまったく無い。
過去に銘花と呼ばれた花々も、誰も見向きもしなくなった。

現在でも歴史的銘花は資料価値としてそれなりの値段がつくが、無銘の同等品であれば、1球数百円、業者卸値だ
と数十円というところか。
その程度の値段のものを、命がけで危険な場所に盗りに行く盗掘屋はいない。
こうして、ウチョウランの乱獲は終わりをつげた。
自生地に残った株が、少しずつ回復しているという報告も聞かれるようになった。

だが、もし、ウチョウランの量産がもっと遅れていたら。
ウチョウランは園芸目的の採集によって、絶滅していたかもしれない。



結果的に絶滅はまぬがれた。
しかし、数多くの自生地が消失した。数多くの特徴ある地域個体群が、永久に失われた。
その代償として得られたものは何だったのか。

確かにウチョウラン園芸が誕生した。
だが、「園芸植物」が欲しいなら、どうして最初からそれを目指さなかったのだ?
数え切れないほどの普通花の命を奪う必要があったのか。
何百本でも、種をまけば1年で手に入るのに。


どうか。
あの過ちをくりかえさないでくれ。
数が欲しいなら殖やし方を教えるから。
園芸種が欲しいなら俺が作るから。
だからもう。
お願いだから。






inserted by FC2 system